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『障害児サポートは「与える」より「もらうもの」が多いです』未来が見えなかった5年前と、娘の未来を考える今のこと

兼古ビル・メインテナンス様
有限会社兼古ビル・メインテナンス
代表取締役
兼古亮太様

「サポートっていうか、力をもらうのは自分のほう。実質的な応援ができるチャンスをいただいてありがとう、っていう感謝しかないです」──障害児の『応援サポーター』としていち早く名乗りを上げてくださった兼古ビル・メインテナンスの兼古亮太さんは100%の笑顔でそう言います。

『応援サポーター』とは、弊社が立ち上げた「チーム☆チャレンジ」で呼びかけている障害児支援のスタイル。登録費2万円、毎月5千円で活動をサポートしていただく一方、その企業の商品・サービスを保護者にしっかりとご紹介することで、一過性ではない双方向的なサポートをお願いしています。

兼古ビル・メインテナンスの主業務はビルの総合管理。つまり、こちらが想定していた「応援企業としてのメリット」は当てはまらないのです。それでも喜んでサポーターになってくださった背景には、どんな思いがあるのでしょうか。

インタビューを通して、とてもストレートであたたかい、笑顔そのままの優しい想いにふれることができました。ぜひ、ご覧ください。

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有限会社 兼古ビル・メインテナンス

1979年創業、東京・神田に本社を置く兼古ビル・メインテナンス。高層ビルの窓ガラスや外壁などの清掃・補修を中心に、安全で快適な建物環境を維持し、建物の長寿命化を総合的にサポートしている。

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──「チーム☆チャレンジ」のことを初めて知ったときの率直な感想を教えてください。

代表の内木さんとは仕事を通じて4年くらいのお付き合いがあります。信頼している方からの紹介でハウスクリーニングを請け負うようになったんですが、じつは今、個人相手の仕事は内木さんだけなんです。おかげさまでビル清掃もお断りしている案件のほうが多いくらいなので。

内木さんとは話すだけでも勉強になるので、楽しく仕事させていただいていますが、その流れでチーム☆チャレンジのことも聞きました。

率直に思ったのは、「力強いな」ということ。障害のあるお子さんがいると、どうしてもハンデになってしまいがちじゃないですか。「上の子に手がかかるから下の子の習い事はあきらめてもらわないと」とか、障害がプラスに働いているという印象はなかったんですよね。

でも内木さんは本当に力強くて。障害をオープンにするどころか、その先の未来につなげていく、ゼロイチをやってしまうんだから本当にすごいなと思いました。

 

──サポートをしようと決めたのはどういった理由からなのでしょう?

話を聞く前は「何かはしたい」「けど何をしたら?」という状態でした。ふとしたタイミングでサポーターの話を聞いて、「そんな機会をいただけてありがとうございます」という想いでした。

自分は今、幸いなことに会社を経営できていて、子どももいます。娘の未来とかも考えるようになって、子どもたちのため、日本の未来のために、自分にも何かできるかもしれない、つなげていけるかもしれないっていう。

「寄付」という感覚ではないですね。この先、パワーをもらうのはこっち。「誰かのサポートをすることができている!」という力をいただけるんです。月々わずかの金額でたくさんのものをもらっちゃってるな〜と思っています。助けるとか、そういうんじゃないんですよね。

──その素敵な考え方はどこから来るんでしょう?

人って環境に左右されがちなので、自分の場合は妻の影響が大きいですね。妻はずっと幼稚園の先生をやっていて、障害のある子に対しても積極的に関わっていました。「障害というのはピュアな個性なんだよ」って、そういう家族がいたので、自分もすんなりと。

僕も、障害って手がかかるというより、フィルターのかかっていないピュアな表現方法に過ぎないと思っています。嫌なときは泣いて、嬉しいときは思い切り笑って。言葉に出せなくて、もどかしくて走り回ってもいい。それを表現の一種と捉えるか、ネガティブ要素としてとらえるのか。自分の場合は幸い、前者なんです。

──奥さまの考えや娘さんの誕生が兼古さんの行動を後押しするひとつのきっかけになっているのですね。

じつは僕、ここ2〜3年で考え方がめちゃくちゃ変わったんですよ。人間としての根幹はもちろん同じですけど、家族からは「前のお父さんは死んだ」と言われているくらい(笑)。今、バージョン2.0です。

──そんなに!? 一体どう変わったんですか?

もう表情も言動も、生き方そのものが変わったと思います。以前は仕事の後も家になかなか帰らなかったし、生まれたばかりの頃は娘とも関わってなかったです。今思うと本当に人が違うくらい。

天才的に外面がいいので(笑)、家族以外でこの変化に気づいている人はいませんが、自分ではかなり実感しています。もしかしたら、内木さんの話を聞いたのが5年前だったら、何もしていなかったかもしれないし。・・・いや、逆に内木さんの話をきっかけにして何かが変わっていたのかもしれませんが。

──人生が変わるタイミングってあるんですね。具体的なきっかけはとくになかったんですか?

ふとしたとき「自分の言葉でしゃべってないな」「完全に相手の答えに合わせてるな」と気づいて、「本当の自分ってどれ?」みたいな感覚で、「これじゃいかんな」とちょっとずつ変化していきましたね。

娘の未来を考えるようになった、という話をしましたが、その前は「未来」というワードを与えられても頭の中は真っ黒でしたから。経営者って2〜3年先を見ろと言われますけど、「何も見えね〜!」っていう。

──バージョン2.0になった今は、どんな未来を夢見ていますか? 

未来とか考えられるようになったのが2〜3年前からなのでまだまだこれからですが、そうですね・・・とにかく「あたたかい社会」であってほしいです。

自分の目線や解釈を変えることで世の中は変わると思っていて。たとえば障害者に対してできてしまう壁のようなものがあるとしたら、それも変えられるはず。たとえば僕は、サポーターになったことで「オレは未来のことを考えている、ちゃんとしたお父さんだぞ」と胸を張って言えます。

自分のような立場の人間が小さなことにでも関わっていくことで、同じように誰かの目線や解釈を変えていきたい、変えられたらすごくハッピーだなと思います。

──確かに、そういう意図がしっかり届きさえすれば、変えられることって少なくない気がします。

「サポートしたい」っていう人は確実にいます。でも、どんなに必要なこと、大切なことでも、世の中に広めるのって難しいですよね。とにかく動き続けないと、あきらめたら一瞬でまた「壁」ができちゃう。

障害者も一緒になって社会を作っていくのは当たり前の選択肢だし、サポートするのも当たり前の選択肢になってほしいなと思います。たとえば自分がサポーターになっているのも「え?別に普通じゃね?やるでしょ、普通」って思います。いかに普通にやるか、ですよ(笑)。

──そんな兼古さんから「自分も何かしたい」と思っている方にメッセージをお願いします!

僕は応援サポーターになったおかげで、これだけの熱量で語らせていただける、「実際に応援しているんだ」と言わせていただけると思っています。そういう想いがエネルギーになって、生きている。いわば生きる糧ですよ。もう本当にありがたい。感謝しかないです。

同じような考えの人って絶対いますよね!

自分は外見がキャッチーだから(笑)、お役に立てるなら何でもやっていきたいと思っていますが、結局はね、何かしてあげるんじゃなくて、やっぱりこっちがいろいろもらっちゃうんだろうな〜と思います。

 

===華ひらく担当・内木美樹より一言===

自宅のお掃除をお願いするようになったのがきっかけで知り合った兼古さん。毎年一度はお会いするので、障害児モデル事業のこと、今回の「チーム☆チャレンジ」のことも流れで話したことはありました。でもまさか応援サポーターになっていただけて、こんな素敵なインタビューが実現するなんて、想像もしていませんでした。

兼古さんのお話を聞きながら、まさに号泣してしまった私です。あたたかい涙をたくさん流しました。

この仕事を始めてから、人のあたたかさに気づかせていただく機会が本当に増えています。兼古さんのあたたかさにもこうして触れることができました。息子が障害を持って生まれてきてくれたからこそ、私は優しくなれたし、周りの優しさにも気づけたんだと思っています。

応援サポーターは今後も広く募集してまいります。兼古さんのように「とにかくサポートしたい」という方も、「障害児に使ってほしい商品やサービスがある」という方も、どうぞお気軽にお問い合わせください。

取材・文/木戸上かおり

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